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どんな人?

代表理事の「たなか志誉里」ってどんな人?についてお答えいたします。

Board member のところで、簡単に自己紹介をさせていただいておりますが、もう少し詳しくお伝えしたいと思います。

 

 

父は経営者、母は看護学校の教員で、と書いてありますが、、、(あと、3歳年下の弟がいます)私が生まれる前は、父は広告代理店の社員で、社長のかばん持ち等もしたそうです。

 

父の故郷(山梨県)で、父は4人兄弟の末っ子。おじいちゃん(父のお父さん)は、昔、村長さんをやったことがあるそうで、おばあちゃん(父のお母さん)は、師範学校の先生をやっていたそうです。

 

 

父の一番上の兄は、その血筋を引いたのか、教員になり校長先生まで勤めて、教育委員会でお仕事をしていました(今では故人)。父は、その長兄と8歳離れており、長兄は父に勉強を教えてくれたり、仲は良かったそうです。

 

その長兄が言うには、「教員は大変だ」と(あくまでも長兄の意見)。地元で飲んでいても、児童や生徒のご父兄がおられて、簡単に酔っぱらうこともできない。と。それを聞いた父は「自分には教員は無理だ」と思い、教員の道は捨てたそうです(笑)

 

 

 

また、故郷のおじいちゃん(父のお父さん)が、横浜の大学に合格した父に、「東京なんか、人の住むところじゃない。あんなところで成功なんかできるか」と、父に言ったそうです(笑)

 

父は、末っ子で甘えん坊でもあったようですが、とてもきかん坊で(笑)、その、おじいちゃんの言葉を発奮材料にして、「東京で成功し、錦の御旗を掲げて(たまに)実家に帰る!」と決めたそうです。

 

 

 

話は戻りますが、、、

大学を出たあと、父は広告代理店でサラリーマン(かばん持ち)をやりながら、仕事を覚えて、3年後に独立。そして、会社を創ったのが始まり、と聞いています。

 

が、時は昭和30年代。そんなに時代そのものが豊かでもなく、仕事を創る、もらう、そのものが大変な時期だったと思うのですが、結果的に会社を2回潰したそうです。

 

 

 

一方、母は看護師の免許をとったあと、教員の方向に進み、当時は看護学校の教員をしていたので、父が会社を潰しても、生計は成り立っていたようです。

 

母が経済的に支えることが出来なければ、当時の我々は夜逃げをしていたのではないか、と思います。

 

 

会社を潰す際に、保証人にもなっていたので、「秋山さん」という副社長の借金300万(当時)を、父が肩代わりした、と、母から聞きました。

 

 

ある時は、家族会議が行われ、小学生だった私は「なんだろう」くらいにしか思っていなかったのですが、父が泣きながら「申し訳ない。先物取引で300万失ってしまった」と話していました。

 

 

当時は300万で地方であれば家が建った時代だったかと思いますが、さすがにお金の価値がよく分かっていない小学生の私は「へー、、、」くらいの感覚でした。

 

2回潰した会社でしたが、3回目には大きく育ち、今も健在です。

 

 

 

簡単に両親(母の背景もあるのですが、それはまた次の機会に譲りますね)のバックグラウンドをお話しましたが、そうこうしているうちに、私も、中学生、高校生、大学生となり、社会人となって、結婚するに至りました。

 

結婚後、2男児を授かり、4人家族で生活をしておりました。が、7年が経って、「それぞれの道を行こう」ということになり、離婚し、あらたなスタートを切ることになりました。

 

 

結果的にひとり親を8年ほどやりましたが、その際に、いろんな事件に巻き込まれ(今、思うと、自分が引き寄せていたんだなーとつくづく分かりますが)、住む家もなくなり、警察に相談し、結果紹介してもらった「シェルター」で暮らすことになりました。

 

 

 

1年3カ月、2人の子供たちと共にそこで暮らしましたが、そこにおられた女性たちは、「事実は小説より奇なり」という言葉がある通り、「えーーー」というような背景を持っており、驚きを越えて、私はただただ愕然としてしまいました。

 

 

 

女性は、人によっては、結婚して子育てして、仕事して、離婚して、さらに子育てして、仕事して、、、とそのライフサイクルを考える時、結構な負担がかかります。

 

(もちろん、ひとり親になった男性も、それはそれで大変だとは思うのですが、、、)

 

 

女性が得意とすることはたくさんあると思うのですが、なかなか社会がそこまで育っていなくて(最近はだいぶ進化して来ましたが)、女性がイキイキと本来のパワーを発揮しながら、生きていない方が多いように感じられます。

 

 

 

そこで、何か役立てないものか、、、というのが原点になりました。

 

今では、ひとり親であるとかないとか、よりも「女性」そのものを元気にしたい、底上げのお手伝いをしたい、人生あきらめずに、「まだこれから」と思えるような環境創りのお手伝いができないか、と思っています。そこが、このフィデスの原点です。

 

 

40代の後半を過ぎたり、子育てもそろそろ終わり、ふと立ち止まると、「昔はよかった」「昔の私はもっときれいだった」「昔はもっと希望があった」などと思っておられる方が多いようです。その現実にも驚いて、「もったいないなー」の一言に尽きる、、、と感じています。

 

人間の細胞は、本来、普通に生きると「120歳」が寿命だそうですね(諸説あります)。

 

 

40代や50代は、「折り返し地点」です(笑)

 

 

 

そこから、

「第2の人生」を始めるお手伝いがしたい、女性が元気になれば、社会も元気になる(もちろん男性も同じではありますが、、、)という思いになりました。

 

 

女性はその特性として、調和や和やかな雰囲気、コミュニケーションにたけている、存在としての花、人と人をつなぐパイプ役、などなどその長所(武器)がたくさんあります。

 

 

第2の人生に向けて、また、「本来の自分を取り戻す」という意味でも、フィデスアカデミアはお役に立ちたいと思っています。光輝く人生に向けて。

 

 

 

ちなみに、その後、私はまた結婚をして、今では15年が経ちました。また、子供たちも、それぞれ25歳や26歳になり、やっと社会人として飛び立つことになりました。私にとっても第2の人生が始まります。

 

 

ご縁のある皆さまと、リアルにお会いできますことを、心より楽しみにお待ちしております。

ご一読いただき、ありがとうございました。